distance

urano_kazumi2014-06-02




あの忌まわしい事件の一報から、早くも一週間が経過した。
今日から公演が再開、劇場こそがAKB48の本丸であって
多少の混乱はあった様だが、無事に終えられたのは喜ばしいニュース。


劇場周辺には、多数の報道関係車両が集結。。。
警視庁の腕章をつけた、紛れもない国家権力の介入を甘んじて受け入れざるを得なかった。
コレが現実・・・今はそう理解するしか無いのだろう。
実はあたしごときにも、複数の著名報道番組からの取材オファーがあったが
今回は全てお断りさせて頂いた。
物理的に取材に応じる時間が無いのも理由ではあるが、それだけでは無い。
ヲタクはあくまでヲタク、メンバーの為になるコトなら喜んで嘲笑の対象にもなるが
今回は列記とした刑事事件・・・とてもじゃないが軽々な発言なんて出来ない。
無論、コレはこのブログを含めたネット上の諸々にも通じるが。。。



自分なりに色々と考えを巡らせてみた・・・。
いわゆるAKB商法に対する、一部の逆風に抗おうとも思ったが
それは言わないコトにした。。。



それより、もっとあたしらしい主張。



AKB48の歴史は・・・すなわち距離の歴史なのだと思う。
メンバーとファンとの距離、ファンと運営との距離、メンバーと運営との距離
様々な距離感を試行錯誤しながら、ココまで成長して来たとあたしは思っている。
更に言うなら、秋元康と言うビッグネームとの距離。
このハナシは、掘り下げると収拾がつかなくなるので多くを語らないけれど。。。



2006年初頭、メンバーとファンとの関係は確実に今よりも近かった。
その物差しをあえて持ち出すなら、ヒトリのメンバーに対するファンの数である。
(その当時の)トップクラスでも、せいぜい1対数百の世界だった。
それに対して、限りなく1対1に近かったと想像されるメンバーも存在した位に。


ファンと運営との距離も近かった。
何か不都合が生じれば、即運営陣に善処を促すコトが出来たし
実際、運営陣もそんなファンの気づきに頼っているフシすらあった。
AKB48のビジネスモデルは、そんな些細な出来事の積み重ねに負うトコロが意外と多い。


そうなると・・・距離感を見誤るファンが出て来そうなモノだが
ゼロでは無いにせよ、不思議と大きな問題に発展したケースはあまり見受けられなかった。
その理由はヒトツでは無いと思うが、ファン自身に神輿の担ぎ手であると言う自負
後に自治なんてコトバが出来た位、ファン同士の相互扶助と問題意識の共有があったと思う。

もっと端的にいうなら・・・『自分達の遊び場を守る為!』と言う大義名分が
問題を大きくする前に、自然と解決に導いていたのでは無いかとあたしは考える。



時を経て・・・。
あの時代とは比べ物にならない規模に育ったAKB48
基本的なスキームが、個人商店レベルのあの時代と大きく変わっていないのだから
確かに問題はあったのだと認めざるを得ない。。。
金属探知機の導入だったり、警備員の増強だったりと既に動き出しているが
それはあくまで対症療法であって、決定打で無いのは火を見るよりも明らか。



では・・・メンバーとファンの距離を物理的に引き離すのか?
それは無理だよね、“会いに行けるアイドル”と言う基本コンセプトなのだから。。。



性善説に頼った運営方針が悪』みたいな論調もあるけれど
誰がどんなに知恵を絞っても、ソコに頼らないでアイドルの現場を廻すなんて無理だと思う。
であれば・・・答えはヒトツしかない。
別にみんながイイ子になれとも言わないし、何でも運営の言われるがままに動くコトも無い。
ただ、この大切な場所を失わない為に何が出来るのか
そして、何をしてはいけないのか・・・。
結局のところ、それは個人ごとの良識に委ねる以外方法が無いと思われる。


万が一にも、ふたたびメンバーを悲しませるような事態に陥ったとするなら
我々は最悪の結果を覚悟しなくてはならないだろう。
色々と申し上げたが、本旨は至ってシンプル。。。
最後はメンバーが笑顔になってくれれば、それで十分ではなかろうか?



もう一度言います。
最後はメンバーの笑顔のために・・・。