ヲタクと呼ばれ続けて・・・。

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浦野一美
ファンとヲタクの違いとは・・・。
一概に線引きは出来ないし、その判断はそれぞれだと思います。
本来はあからさまな蔑称であるハズが、この業界においてのヲタクとは
時に己を謙り、時には相手を持ち上げる尊称にもなるのだから不思議です。
あたしの場合、ネットデビュー以前はありふれた"いちファン"
それがネットを通じて様々な方々と知り合い、多くの情報に接して行く中で
徐々に濃縮が進み、今に至っていると思うのです。


あくまでも一面を切り取っただけですが・・・。
ファンとアイドルの間は、基本的に単方向の関係だと思っています。
アイドルから発信されたモノを、ファンはただ消費しているだけ。
対してヲタクともなると、限定的ながら双方向の人間関係になって来ます。
アイドル側もヲタクの個を認識、あらゆる手段を用いて意思疎通を図ろうとする。

この行為をさして、いつの頃からか『認知』なんて呼ぶようになりましたね。

どちらもワンノブゼムに違いは無いのですが、どこかでオンリーワンだと言う
錯覚に陥る瞬間がある・・・そのあたりのさじ加減はそれぞれ(笑


あたしのヲタク人生の中で、礎となった人物がいます。
彼の名はTクン、dreamと言うグループの中でも決して主力とは言い難かった
あるメンバーを今でいう単推し
・・・ガチガチに応援しておりました。
彼はとにかく、暇さえあればそのメンバーに手紙を書いていました。
封筒・便箋、使うペンの色にまでこだわっていた数々の力作。
その努力は運営陣も知るトコロで、彼が頼めばすぐにメンバーの元へ届けられました。
恐らく当該メンバー自身も、彼からの発信を欲していたのでしょう。


かく言うあたしも、彼の手法を真似てメンバー宛の手紙は随分と書きました。
いわゆる推しだけでは無く、例えば推しと仲の良いメンバーであったり
時には所属事務所の社長様宛に、お祝いの手紙を書いたコトもあります(笑
手紙の持つ効能に関しては、過去に何度も触れているので割愛します。

『メトロポリス@さんは、やっぱり手紙のイメージです』

ありがたいコトに、数多くのメンバーから言って頂きました。
それも多くの場合、現役時では無くOGになられてから・・・。
この辺りはSNSの賜物ですね、ネットの無い時代では決して伝わるコトが無かった。
あたしにとって、最高に嬉しい褒めコトバでした。



今の自分を指して、イチバンしっくりくる表現が"一兵卒"
『お前何様なんだよ!』とお叱りを受けそうですが(笑
今となっては過去の話ですが、浦野一美さんが48Gに在籍していた
2012年3月31日まで、あたしなりに精一杯の応援をさせて頂いたつもりです。


そもそもファンに序列があるのか無いのか・・・。
ソコを語り出したらキリが無いので辞めますが
ある時期、おこがましくも『TO=トップヲタ』なんて呼ばれたコトがありました。
当時をご存知の方ならお判りでしょうが、それは単にメディアに踊らされただけ。
そのメディアに恥ずかしげもなく己を晒したのも、彼女のコトを押し出したい一心。
理由はお分かりですよね、あたしを紹介する際の冠は必ず推しメンですから(笑


今だから臆するコト無く言えますが、イチバンになった自覚は微塵も無いし
彼女のイチバンになろうなんて、全く考えたコトもありません。
強いて申し上げるとするなら・・・。

『彼女がファンの顔を思い浮かべた時、10番目位に現れば本望』

当時のあたしは、ホントにそれ以上何も考えておりませんでした。
ただただ前を向いて走る彼女のコトを、どうしたらアシスト出来るか?
少しでも多く彼女が笑顔に包まれるか・・・。
ソコに打算は1ミリもありませんでした。


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平嶋夏海 浦野一美
彼女が48Gを離れて、もう7年半にもなるのですね。
つまり、初期メン・浦野一美が在籍していたAKB48よりも
それ以降の方が圧倒的に長くなってしまったとか・・・。

『シンディはメトロさんのコトを、親戚の人みたいに親しみをもっていたよ!』

コレは半年ほど前、古くから48Gに絡んだ仕事をしている方から聞かされました。
有難いよね、彼女とあたしの想いは当時シンクロ出来ていたのだと思った。
チョロいヲタクですから、ご褒美はこれ位でちょうど良いのです(笑


『なんだよ、オチはお前の自慢話かよ』
そう思われてしまうなら、あえて否定は致しません・・・。
どこまで行ってもヲタクはヲタク、社会一般の通念に照らし合わせたなら
いいトシをこいたオッサンが、ヲタク活動の中での成果をひけらかすなんて
恥ずべき事象なのだと思います。



我が世の春を謳歌していた、ほんの数年前とは状況が一転。
特に2019年に入って、48Gを取り巻く環境はアゲンスト一方向
SNSに目をやれば、運営への批判だけならいざ知らず
メンバーに直接ヘイトを放つ輩までいる始末。
どれだけ義憤に駆られたとしても、絶対にしてはいけないコト・・・。
ヲタクにだって矜持はあるはず、その良心に問うしか手段はありません。


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NGT48
ご承知の通り、あたしは先日NGT48の公演を拝見して参りました。
そのレポートは既にアップしてありますが、率直に素晴らしい出来栄えでした。
多くの方から賛同のご意見を頂いた反面、否定的な声も聞こえて来ました。

それは『良し悪し以前に、公演の幕を開けるコト自体に否定的』な見解。

当然ながらあたしの耳にも、様々な情報は日々飛び込んで来ます。
その中身は、全く真贋のハッキリしないモノばかり・・・。
であれば、あたしは“推定無罪”と言うスタンスを取るしかありません。
どこまでがアリかナシかの線引きも、常に論議の対象になるのでしょうが
ソコまで広げてしまうと、もはや収拾がつきません。


劇場公演において、目の前で繰り広げられているモノは100%のリアル!
無論彼女達は演じていますが、それをも含めて目の前の全てが真実。
あとは出来る限り括目して、彼女達のホンキを受け止めるだけ。


メンバーはは間違いなく腹をくくって公演に臨んでいました!!
ココロの奥底でどう思っているかは別、少なくとも地に落ちたNGT48ブランドを
自分たちの手で再興しようと言う、その意気込みにウソは無いと思います。
その根拠は劇場公演のパフォーマンス、それだけのモノを我々に魅せてくれました。
後は一歩も退かないで、今のモチベーションを維持して頂きたい!


老いぼれは、ふたたび彼女達が大空を舞う瞬間を見届ける所存であります。

続・秋の夜長に・・・。

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チェキッ娘
時は1999年初頭・・・。
当時駆け出しの営業マンだったあたしは、唯一の休日である
月曜日ともなると、泥の様に一日眠り続ける生活を送ってました。
腹が減って目覚めるのが決まって15時頃、近所のほか弁屋で
遅い昼食をゲット、その際に何となく目にしていた番組・・・。
ソレがDAIBAッテキであり、その主役たるチェキッ娘でありました。



chee's(From チェキッ娘)/はじまり


はじまりと言う楽曲の良さと、出来ないながらも真剣に楽器と向き合う
そんな彼女達の姿に接し、文字通りはじまってしまいました!
前述のCoCo解散から、インターバルおおよそ5年。
自分よりも年下のアイドルに惹かれているコト自体、最初は強烈な自己嫌悪(笑
誰にもその事実を告げるコトなく、ひっそりとコンサートに足を運んでいました。


やがて訪れる解散コンサート。。。
もちろんコレとて誰にも言えず、会社には冠婚葬祭だと嘘をつき(汗
単身乗り込んだのは、かつて舞浜に存在した東京ベイNKホール。
奇しくもソレは、かつて愛したCoCoが終焉の地に選んだのと同じ場所。
今思い起しても、ソレはソレは感動的なラストライブでありました。


ココまで書き記した推し遍歴(?)
これまでとこの先の展開においては、大きな違いが存在しております。
そのキーワードとなるのが『インターネット』
端的に申し上げると、これ以前のあたしの生活の中においては
インターネットと言うモノが、一切存在しておりませんでした。


チェキッ娘解散コンサートが行われたのが、1999年11月3日の夜。
大いに感激をしたワケですが、残念ながらその想いをぶつける相手がいません!
ソコで思い立ったのでしょう、数日後に人生初のネットカフェに足を踏み入れます。
イコール・・・この瞬間があたしのネットデビューでもあるのです。


解散コンサートから数日後のネット上では、様々な感想が飛び交っていました。
SNSなんてモノが存在しない時代、コミュニケーションの主役はチャットでした。
有志の方がしつらえた数々のチャットルーム、会話の内容もトーンも様々
すっかりのめり込んだあたしは、連日連夜遅くまでネカフェに入り浸り(汗
さすがにコレでは身体が持たない、かと言って当時のPCは薄給リーマンが
おいそれと手を出せる値段ではありませんでした。


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ドリームキャスト
ソコで登場したのが『ドリームキャスト』
当時のゲーム機で恐らく唯一、インターネットへ接続の出来る機種で
コレを使ってネットの世界・・・と言うよりは
むしろアイドルヲタクの世界へと一歩を踏み出すコトに(汗


ココであたしのヲタク人生を運命づける、何名かの人物とネット上で繋がります。
その中のヒトリがしま@さん、氏との関係は今でも細々続いています。
そしてあたしの推し遍歴は、チェキッ娘から派生したガールズバンドchee's
更にミレニアムデビューのdream、そしてその一員であった阿井莉沙さんへと
流れ流れて行くのでありました。



~つづく~

秋の夜長に・・・昔話をヒトツ

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大野幹代 三浦理恵子 宮前真樹 瀬能あづさ 羽田惠理香
初めて買ったCD・・・いや、まだレコードだったな(汗
アルバムは既にCDも併売していましたが、シングルに関しては
いわゆるドーナツ盤全盛の時代でありました。



岩井由紀子(ゆうゆ)/天使のボディガード


彼女のソロデビュー曲、今聴いてもなかなかの佳曲ですよね?
おニャン子クラブ全盛だったあの時代、あたしはまだ小学生でしたので
世代としては、少しずれているんですよね・・・。
岩井さんに関しても、何となく曲が気に入ってファンになった程度。
その割には、我が家にはいまだにアルバムが数枚残っているのはナイショ(笑


ホンキで『このヒトのファンだ』と言う意識が芽生えたのが吉田真里子さん!
ただしデビュー時からではなく、2作目“さよならのリフレイン”が刺さったので。



吉田真里子/さよならのリフレイン


真里子女史のコトを語り始めると、原稿用紙何十枚にもなってしまうので
その経歴については割愛させて頂きます。
1988年の後半から、2002年元旦の入籍報告まで・・・。
最後は女史直筆の礼状が届きました、ファンとしては本望であります。


並行して・・・乙女塾系にはちょっとハマりましたね。
あたしはどちらかと言えばribbon寄りでしたが、当時お付き合いしてた女性が
CoCoを推していたので、だんだんソチラに流れて行った感じ(笑



CoCo/なぜ?


この頃のスタイルは、発売日にCDやライブビデオを購入して
テープが擦り切れる位に鑑賞する、それ以上でもそれ以下でもありませんでした。
アイドルと言えばブラウン管の向こうの存在
唯一会えるとするならば、ソレはコンサート会場の舞台の上。
それとて高校生だったあたしにとっては、なかなかに高嶺の花。
たった一度だけ、彼女と行った大宮ソニックシティは天空席でした←


CoCoが解散したのは、確か1994年の夏のコト。
ちょうど社会人になった頃・・・特に何か決断をしたワケではありませんが
どこかで『アイドルのCDを買うのはコレが最後』と言う意識が芽生えました。
実際、これ以降あたしがアイドルにハマるコトはありませんでした。。。


あの集団に出会うまでは・・・。



~つづく~

角ゆりあ NGT48の新キャプテンに就任!

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角ゆりあ
コレはサプライズ人事と言って良いのでしょうね?
耳にした瞬間の感想は、やはり“驚き”が強かったです。
同時に、ちょっとワクワク感も覚えました!


『役職や肩書はイチバン不向きなヒトにつける』


ある意味古典的な手法だと言えるでしょう。
最初から出来ている人物に権限を与えると、どうしてもおごりが発生してしまう。
自分なりに悩んで模索して、何とかその立場を全うしようと努力をする
そんな伸び代のある人材と言う意味では・・・まさにピッタリですよね♪




このタイミングで、火中の栗を拾う決意をした角ゆりあさん。
そんな彼女の決断に最大限のリスペクトを捧げたいと存じます・・・。