『終わらないアンコール』

urano_kazumi2012-04-16

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Tags:サヨナラ



SDN48最後のシングルのカップリング曲は、
劇場のステージをテーマにした美しく切ない曲だった。
秋元先生からSDNに届いた最後のプレゼント。

 
ラストステージを歌ったこの曲を聴いて、僕は「初日」を思い出した。
文字通り舞台の「初日」を歌った名曲。AX2009の奇跡
デビュー直前のTeam Bメンバーが体験した
B1公演初日までの「三週間の過酷なレッスン」


 
「初日」「終わらないアンコール」
かたや「だめだめの甘えんぼと言われた末っ子たち」、こなた「酸いも甘いも噛み分けたお姉様方」
夢の劇場のステージにおける「はじまりの歌」「お終いの歌」
でもそこから見える共通の景色は、ステージに立つという特権を与えられた者しか知ることができないものなのだろう。


   スポットライトが/こんなに眩しいなんて
   長い夜が明けた朝陽のようね

初日

   眩しいスポットライトは/まるで光の道案内
   未来へと/続いてる


初日に見えた劇場の光は、最後の日にも輝いていたに違いない。


   夢は汗の中に/少しずつ咲いていく花
   (中略)
   夢は涙の先/泣き止んだ微笑みの花

初日

   その汗もその涙も/人生で最高の花束になる


モニターなどという無粋な枠を通さずに、時にはその汗が届きそうなくらい近くで
「演じられた/見られた」人々の幸福な記憶こそが花だ。
劇場を訪れたことのない「劇場派」の僕は、想像力でおぎなうしかないのだけれど
(しかし当たらねえなあおい!)。


どんなに辛くても彼女たちを駆り立て奮い立たせてきたものの源泉。


   だけどアンコールが/どこかで聞こえた

初日

  瞼を閉じれば今でも/ずっと鳴り響いているよ
  思い出の/彼方から
  終わらないアンコール


目を閉じると聞こえてくる、万雷の歓声とアンコールの声、
思い出のその声を、彼女たちは今どこで聞いているのだろう?
 (そしてこの二つの曲の両方を歌いきった希有な存在についての論評はどなたかにお任せします)



でも「初日」「終わらないアンコール」、違うところもいっぱいある。
たとえば「初日」
その歌詞にはメンバーが読めば、すぐにそれとわかるエピソードが散りばめられている。


   一人だけ踊れずに/帰り道 泣いた日もある
   思うように歌えずに/自信を失った日もある
         (中略)
   怪我をして休んだ時/悔しくて 泣いた日もある
   学校とレッスンの/両立にあきらめた日もある

初日


この歌詞を見た時、メンバーたちはすぐに気づいただろう。
これはあたしだ、あの子だ。秋元先生、私たちのことずっと見ててくれたんだね、と。


そして「終わらないアンコール」
美しい言葉が綴られているのだが、その歌詞からは正直SDNの姿は見えてこない。
それは「初日」のそこここに「Team B」の刻印が深く刻まれているのとは対照的。


  ラストステージ/力の限り
  歌い踊って/燃え尽きたくて


確かにそれはそうなんだろうけど、この言葉の向こうにSDNのメンバーの姿は、あまりよく見えない。
秋元先生、あたしたちのこと見ててくれなかったのかしら。


うん。
残念ながら秋元先生はあんましそっちを見てなかったみたい。
もちろん全く見てなかった訳じゃないんだけどさ、先生の目はどうしても
若い子たちに向きがちだったんだよね。やっぱり。

 
最近、秋元康は自らを女子校の校長になぞらえた。
その上で、「校長、あなたは全員に目が行き届いているのか?」という質問に対して、
「努力はしていますが、全員は無理です。でも、その分、何十人というスタッフの目が行き届いています」
と回答した。


うん。
校長の目は、あんましSDNには行き届いてなかったんだ。


現役の生徒はもちろん、かつて生徒だった人(というとほとんど全ての人ってことかな)は知っているだろう。
先生は「エコヒイキ」をする。
エコヒイキ、という言葉が適当でないというのならば、「愛を平等に振りまくことはできない」と言い換えてもいい。
そりゃあそうだ。
全て人を平等に愛しているという人は、神様か、誰も愛していないに決まっている。


数あるグループの中で、彼の愛情は最も多くAKB48に向けられており、
その中でもTeam Aは別格であり、何よりももっとも深く強い愛は
前田敦子に対して惜しみなく注がれてきた、と僕は思っている。


一人の人の愛情の量は、一定。
多分秋元康は、SDNを十分に愛することができなかったのだろう。 

 
いや、センセイを責めているわけじゃないですよ。
誰かを強く愛せないことは、神ならぬ身にとっては瑕疵ではない。
彼はむしろよくやった。
小なりと言えども番組を持っていた。
一時期からはSDNのメンバーがさまざまな媒体で見られるようになった。テレビ、ラジオ、CM、グラビアetc。
全部とは言わないけれど、相当秋元先生の後押しがあったのだろう。


だが、SDNはグループとして大輪の花を咲かせることがとうとうできなかった。
「終わらないアンコール」には、そんな秋元康の微かな後ろめたさと苦い後悔が感じられる。


   袖へとハケたら/スタッフたちが
   何も言わずに/抱きしめてくれた

 


「センセイ、『袖へハケる』なんてシロウトはわかりませんよ」
「いいんだよわかんないヤツはわかんなくて。これはわかるヤツの為に作った歌なんだから」
そう、これは作詞家から彼女たちへのメッセージ。
そして抱きしめてくれたスタッフとは、もちろんその日そこで彼女たちを
受け止めることができなかった秋元康の化身。
そうですよね、センセイ?



ところで、


   夢はいつも/あきらめない限り
   いつの日か/幕が/また 上がるんだ


とおっしゃいますが、センセイ、本気なんでしょうね?
センセイがその気なら、僕だって「終わらないアンコール」の声を上げ続けようと思うんですが。
SDNだけじゃなくって夢の劇場に一度でも立ったことのある、
あの子やこの子の名を、呼び続けてもいいんですか?


                                                                                                          • -

いつもと全く文章の切り込み方が違うので、驚かれたコトでしょう(笑
実はこの楽曲レヴュー、書いたのはあたしではございません。
自らを『劇場を訪れたコトのない劇場派』と評す、ブロガーのderesuke氏
無理を言ってご寄稿頂きました、ありがとうございます。。。


氏のブログには、いつも驚かされております・・・。
48グループの楽曲、とりわけ公演曲に特化したその内容は
とても劇場公演を観た経験の無い方とは思えない、見識の深いモノばかり
以前よりその姿勢にリスペクトを捧げさせて頂いておりました。

今回・・・この『終わらないアンコール』と言う楽曲に対して
競作と言うカタチでレヴューを書きませんか?とお誘いしたトコロ
ご快諾を頂き、この様なカタチになりました。。。
もちろん・・・内容に関しては一切の打ち合わせをしておりません。
よもや、『初日』を引き合いに出されるとか・・・目からウロコの想いです。


ちなみに、私のレヴューはderesuke氏のブログである
『Commentarii de AKB Ameba版』に掲載されております。
よろしかったら、そちらもご覧下さいませ。。。